本日の夜,NHK大河ドラマ「どうする家康」が始まります。そこで,家康の母である於大(おだい)の墓がある傳通院(でんづういん)に行ってみました。
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傳通院は,1415年,浄土宗第七祖 酉蓮社了誉聖冏上人(ゆうれんじゃりょうよしょうげいしょうにん)が開いた寺です。当初は無量山寿経寺という小さな寺でした。
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了誉(聖冏)上人の墓は当然のごとく傳通院にありました。(中央の墓)
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1602年家康の母である於大が京都伏見城で死去すると,家康は徳川家の菩提寺である増上寺に埋葬するつもりでいたそうです。ところが,当時の増上寺の僧であった慈昌に,「増上寺は聖聡上人が開山したが,その師である了譽上人が開いた寺を新しくしたらどうか。」と言われて,家康は母の墓と本堂を建てたのです。意外とあっさりと決まったようです。
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於大の墓は,一番目立つところにありました。家康は,母の法名「傳通院殿」にちなんで院号を伝通院としました。以来,増上寺に次ぐ徳川家の菩提所次席となりました。増上寺・寛永寺とともに江戸の三霊山と呼ばれました。
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徳川秀忠の娘千姫の墓があります。千姫は豊臣秀頼の正室であり,家康の孫です。
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家光の正室孝子の墓です。
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家光の二男 亀松君の墓(中央)です。このほかたくさんの徳川家の墓があります。中には,「二十八男の墓」もありました。血筋を絶やさないようにするためには大変だったのでしょう。
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