今日は、前回の続きで、梅ヶ丘駅からのスタートです。
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よく整備された緑道を通ります。
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珍しい花を発見しました。葉が水草のクロモに似ています。おそらく、「チドリソウ」でしょう。
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東急電鉄世田谷線山下駅に着きました。この先は行けませんので、左に迂回して駅を通り越します。
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北沢川緑道は、「ユリの木公園」となり、ユリの木の並木があります。「ユリの木」と書くと、何だか百合の木のような錯覚に落ちます。調べると、明治時代に渡来した時に、「チューリップのような花を付けるという木」ということを翻訳して、百合の木になったそうです。当時は、チューリップがあまり知られていない時代なので、百合なのですね。
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ユリの木の葉の形というのは、実におもしろいですね。頭を付ければ、スカートをはいた女性!?
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はっきりした緑道は、弁天橋で終わります。
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かつては、この辺りに弁天池という池があって、川を大切にしていた人々が弁財天をまつっていたそうです。上は、再建された弁財天です。ここから先は、一時、川の道筋を見失いました。
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川は上流に下るわけがないからここは違うなど、30分ほど悩んでやっと見付けました。
大きな黒松が力強くこちらだと指している姿に納得しました。分かってしまうと、「さっき来た道なのになぜに分からなかったか。」と思います。教育も同じですね。
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少し進むと、なんとなく昔は川だったのではと思える風景になりました。
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ついに一般道になりました。暗渠は、歩道の下だと確信して進みます。しかし、少し進むと下り坂。前回の反省を生かし、右を見ると、少し上り坂なので、そちらへ行きます。
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すると、その先に元川らしき道筋があるのを発見しました。マンホールもあります。
この先は、マンホールの行列でした。源流探しの楽しいところです。
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そして、その先には、世田谷区立将軍池公園がありました。
将軍池と加藤山の由来
この池と築山は、都立松沢病院(大正八年に、東京府巣鴨病院が旧東京府小石川区巣鴨駕篭町からこの地に移転し、東京府立松澤病院となりました。)の第五代院長呉秀三のもと、加藤 普佐次郎医師、前田則三看護師及び多くの患者によって、屋外作業療法の一環 として造られたものです。 大正十年七月から造園作業に着手し、翌年には約八割の工事を終えましたが、完成間近の大正十二年九月一日の関東大震災により、築山は、当初の富士山 型が崩れ、現在のなだらかな形になりました。 その後、造園作業は再開され、園芸家堀切三郎の指導により、あずまやを配置するなどして、大正十五年に完成しました。 この将軍池と加藤山は、原田治郎の英文の著書「日本の庭園」JAPANESE GARDENSによって、精神障がい者の造ったすばらしい庭園として広く世界に紹介されました。 将軍池の名は、作業に参加した患者で自称「将軍」葦原 金次郎にちなんだものです。また、加藤山の名は作業を指導した 加藤普佐次郎医師に由来しています。
将軍池と加藤山の周囲は病院の敷地のため、立入りはできません。
東京都立松沢病院 将軍池公園 世田谷区上北沢2丁目1−11
この辺りは、昔、湧水があり、北沢川の源流だったそうです。けれども、少量なために、玉川上水の水を分けてもらっていたようです。玉川上水からどのように分けてもらっていたのか、その水路はどうなのか分かりませんでした。
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