858年、平安時代の天台宗の僧智証大師(ちしょうだいし)は、弁才天の像を作りました。その像は、源頼朝、北条家、増上寺、そして、徳川家康の手に渡りました。開運を招いたことから家康が開運出世弁財天と名付けたそうです。
しかし、その像は増上寺内に安置されていたので、一般人には参詣できませんでした。そこで、1685年、増上寺の生誉霊玄が境内に弁天堂を建て、そこに祀ったのだそうです。同時に弁天堂のそばに増上寺の子院の一つとして「宝珠院(ほうしゅいん)」が建ったそうです。現在は、ガラス越しに見ることができます。
その年1685年には、2mもある閻魔大王像が造られました。こちらも、見ることができます。江戸時代には、「芝の閻魔さま」と呼ばれたそうです。正月と盆の16日に地獄の蓋があくと言われ、参詣人であふれたそうです。
閻魔大王像の近くには、「閻魔耳」があります。「悪い行いを閻魔様に懺悔出来ます。閻魔様に打ち明けてお許しを乞いましょう。」とあります。
その他、「三すくみ」と言われる石があります。へび、かえる、なめくじの形をした石は
「ヘビがカエルを食べる、カエルはナメクジを食べる、ナメクジはヘビをとかす」と言われています。3匹がにらみあって動かない様子を「三すくみ」と呼び、動かなくなることで平和を願うという意味があります。へびとかえるは見付かりますが、なめくじは見付かりにくいです。
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