前回の記録で,神田川を遡上したときに,きれいに合流した所がありました。ここまでは,神田川の護岸が6mほどあるのに,ここから先は3mほどになり,思わず,「なるほど,だから合流しているんだ。」と納得させられました。今度は,右手の善福寺川を遡上してみたくなりました。
12月5日,丸ノ内線の中野富士見町駅で降りて,再び合流地点に着きました。ここから源流の遅野井(おそのい)の滝までの11.3kmを1日かけて遡上します。全て杉並区を通っています。
初めのうちは,遊歩道もなく単調でしたが,次第に遊歩道も出現し,自然を感じさせてきました。
護岸も都会の川でない感じです。しばらくして,和田堀公園に着きました。この辺りは地盤が低く、善福寺川の氾濫がよく起きた所でした。昭和30年代の中頃、河川改修のときに人工の池を造り、周辺を整備して公園にしたそうです。
遊歩道が完全に整備されて歩きやすいです。柵も素敵です。
杉並区成田西の善福寺川緑地にある「天王橋(てんおうばし)」です。花壇が上に乗っている橋は,大変珍しいので,シャッターを切りました。
中央線を越える所です。風景は,あまりきれいではありません。
しかし,湧水のある場所がありました。「湧水(ゆうすい)」とは,地下水が崖や谷間から流れ出たものです。川にきれいな水を供給しているそうです。この時は,水が流れ出ていませんでした。
荻窪中学校と井荻小学校では,なんと敷地内に善福寺川が通っています。橋の向こう側が学校です。網があり,子供たちが落ちないようになっています。このような環境の中で,子供たちは川の美化について考え,活動して善福寺川がきれいになったそうです。
そして,ついに善福寺公園に着きました。
善福寺池が見えました。下の池と上の池に分かれていました。
上の池と下の池は,下のような細い川で結ばれています。
上の池に着きました。さらに遡上して,遅野井の源水を探しました。
ついに,源水に着きました。ここからあの合流地点まで流れているのかと思うと感激です。
この滝は,昔の湧水の口を滝の形で復元したものだそうです。
その昔,源頼朝が奥州征討のため軍を率いてこの地に宿をとったそうです。この地に戻った際,干ばつで水に困り,頼朝自ら弓で地面を7か所掘ったが,軍勢は湧き出るのが遅い,遅の井と言ったそうです。その時,突如として水が湧き,軍勢が助かったそうです。由来を知ると,面白いですね。