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  • 執筆者の写真kazu

中山道(その2)巣鴨から小豆沢へ

更新日:2022年6月18日


 今日は,中山道を巣鴨から小豆沢(あずさわ)まで行きました。

巣鴨駅前の山手線沿いの「すがも桜並木通り」では,サクラが少し散り始めました。

5分ほどで旧中山道の入口着きました。ここの左手に江戸六地蔵があります。

左が旧中山道(巣鴨地蔵通商店街),右が国道17号です。

そして,とげぬき地蔵(高岩寺:こうがんじ)がありました。

地蔵通商店街の終点に,巣鴨猿田彦大神庚申堂がありました。ここには,1653年に建てられたとされる庚申塔があります。中山道らしく古いです。

 江戸時代,この辺りは種屋街道と言って,野菜の種を売 っているお店が並んでいたそうです。1910年に建てられた種屋の家が今も残っていました。

 約100年の歴史を誇る「亀の子束子」本店が旧中山道沿いにありました。ここはタワシを発明した会社です。

 旧板橋宿は京都に近いほうから、名主の管理区域ごとに上宿・仲宿・平尾宿に分かれていたそうです。仲宿は板橋宿の中心地です。

 この橋が石神井川に架かる「板橋」です。この橋の説明板には,次のように書いてありました。

「この橋は板橋と称し,板橋という地名はこの板橋に由来するといわれています。板橋の名称は,すでに鎌倉から室町時代にかけて書かれた古書の中に見えますが,江戸時代になると宿場の名となり,明治22年に市制町村制が施行されると町名になりました。そして昭和7年に東京市が拡大して板橋区が誕生した時も板橋の名称が採用されました。」

石神井川の両岸のサクラが満開でした。

 旧中山道とお別れして再び国道17号を進むと,「南蔵院」というお寺がありました。1640年ころに建てられたとされています。サクラの名所にもなっていて,珍しい花が咲いていました。

 ここでびっくりしました。一里塚があったからです。ここの説明板には,次のように書いてありました。

「江戸に幕府を開いた徳川家康は,街道整備のため,1604年に諸国の街道に一里塚の設置を命じました。これにより,9m四方,高さ3mの塚が江戸日本橋を基点として1里(4km)ごとに,道を挟んで二基ずつ築かれました。志村の一里塚は,本郷森川宿,板橋宿平尾宿に続く中山道の第3番目の一里塚として築かれたもので,(中略)現存する一里塚は全国的にも非常に希なもので,都内では北区西ヶ原と志村の二カ所だけです。」

 小豆沢に着きました。少し寄り道をして,小豆沢公園に行きました。戸田橋の親柱(おやばしら)があるからです。江戸時代の中山道は,荒川を渡し船で渡っていたそうです。1875年に初めて橋が架けられたそうですが,この親柱は1932年にできた3代目の橋のものです。1964年の東京オリンピックではこの橋を聖火ランナーが渡ったそうです。今の橋は1978年完成の4代目です。

 もう少しで埼玉県というところで終わりにしました。


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