現在、東京タワーが建つところは、かつて紅葉山(もみじやま)と呼ばれていました。
徳川2代将軍秀忠が妻(江姫)のために江戸城の紅葉山にあるカエデをこの場所に移植したことから名付けられました。
1881(明治14)年、ここに会員制高級料亭「紅葉館(こうようかん)」ができました。紅葉の装飾で豪華に内装を施してある和風建築と、紅葉模様の着物姿の女中の接待が評判だったそうです。政治家も利用していました。
1906(明治39)年、紅葉館からよく見える「もみじ谷」を見て、変えようと決心した人が出現しました。長岡安平(ながおかやすへい)です。長岡は、東京府の公園事業の担当者でした。自宅が18号地にあったのです。
「もみじの滝」2022年12月20日 「もみじと東京タワー」同24日
長岡は、「自然の地形を生かす」「オープンで誰にも平等である」という公園思想でもみじ谷を造ろうとしたそうです。今でこそ当たり前の思想ですが、当時としては斬新な考えでした。
長岡は、崖を利用して10mほどの人工の滝「もみじの滝」を造りました。イロハモミジやオオモミジなど9種類、約200本のモミジを南北に植えたそうです。北から南へ向かって色づくように図られています。岩石を配置し、渓流を造りました。
長岡は、その後、全国の公園設計に携わり、日本初のランドスケープデザイナーと言われています。北海道の大通り公園や円山公園、富山の高岡古城公園も設計しました。
もみじ谷は、1984(昭和59)年、2017年に大規模な改修がなされて、現在に至っています。
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