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現在の増上寺の境内は上の図の通りです。
増上寺は、1393(明徳4)年に、浄土宗第八祖酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって開かれました。場所は、現在の千代田区平河町から麹町あたりの土地だそうです。
1590年に徳川家の菩提寺に選ばれました。理由は、住職の源誉(げんよ)が三河国で修行をしていたこと、家康がその頃「源家康」と名乗ったことがあったことから源誉という名前が徳川家にふさわしいこと、増上寺という名前が「増し上がる」という意味で縁起のよいことが気に入ったからと言われています。
1598年、江戸の都市計画に伴い、現在地に移転します。ここは、江戸城から見て裏鬼門(南西)の方角に当たります。鬼門(北東)には、寛永寺が建てられました。
その後、6人の将軍の将軍が眠る徳川家の菩提寺として寺領が増大していきました。(なぜ6人の将軍なのかは12月30日のブログ「寛永寺その1」をご覧ください。)一時は寺域が66万㎡になったそうです。東京ドーム14個分の広さです。
しかし、明治になって、境内地は召し上げられ、大火があって本堂が焼失しました。大正に再建されたものの、戦災で再び焼失してしまいました。
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現在の大殿(だいでん:本堂のこと)は、1974年にできた建物です。
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戦災で焼失した大殿の代わりの本堂としていた建物をこの場所に移転し、家康の法名「安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士」より「安国殿」(あんこくでん)としました。
2011年に老朽化のため改築されています。
安国殿の右に徳川将軍家墓所公開の入口があります。今までは見られなかったのですが、現在は500円の入場料で内部を見ることができます。
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墓所の入口は、10の三つ葉葵紋をつけた扉と鋳造袖塀(ちゅうぞうそでべい:門の横にある低い塀)がある門です。旧国宝です。
もとは、文昭院殿霊廟(六代将軍 徳川家宣公)の宝塔前の中門でした。ここまでは無料で観られます。
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秀忠とお江の墓です。このような墓がいくつも並んでいます。1回は観ておきたいものだと思います。
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