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2 子供が発言したくなった一言
(1) 国語の音読にて「~がうまい!」
指名読みの時のこと。5人ほど指名して、順々に読んでいきました。「『ハイ』と先生が言ったら、次の人、読んでね。」というのが常日頃のやり方でした。
この日、初めの子が会話を大変上手に読んだので、「会話がうまいね。」と一言言って次の子になったのです。
ところが、平等にしなくては、という意識が働き、次の子にも「すらすら読めたね。」と言い、次の子も、そして次の子もいうわけで5人全員に一言言ったのです。こうして5人が終わった時、「次に読みたい人?」と言ったときの子供の挙手に驚きました。ふだん、手を挙げない子も挙げているのです。何気なくやったことが、こうなるとは思いもしませんでした。子供は、やはりたった一言でもよい点を言ってもらいたいのだなとしみじみ思いました。
(2) 引っ込み思案な子供 A子へ「先生の言い方が悪かったね。どこまでならできる?」
発言は、引っ込み思案な子供にとって大変なことです。「積極的に発言しなさい。」「がんばれ。」と言っても、不必要なプレッシャーがかかるだけです。このような子供がいる中で、「全員発言!」などと目標を立てて安易に取り組むと、苦痛が増えてしまうようです。A子もそんな子でした。A子は、「1日1回は発言する。」という目標を立て、日記にも「明日こそ発言したい。」と書くような子です。でも、自信がなくて挙手できないのでした。「今度は、発言できるといいね。」と日記に返事を書いてみたものの、何かしっくりいかないものが残りました。
「そうだ。私は、この子のためには、何もやっていないんだ。」と気付いたのは、1週間もたってのことでした。今日は、A子が発言できるようにやってみよう、と心に決めて、授業をしていきました。1時間目も2時間目も、私の頭にあるのは、A子の挙手です。もちろん、逆に意識されてもプレッシャーですから、誰にも気付かれないようにしていきました。発言のレベルをかなり落としても、手を挙げません。そこで、「先生の言い方が悪いようだね。どこまでならできるかな? ~のところを読めばいいですよ。」と言った時、初めて手が挙がったのです。すかさず指名しました。すると、発言することにちょっぴり自信をもったようで、その後も何回も挙手をしたのです。
(3) 一度も発表しなかったB子へ「B子さんの考えが一番よかったんだね。」
B子は、ふだん、ほとんど挙手しない子です。ですから、みんなの前に出て説明することなど1回もしない子でした。時々指名したのですが、自信がないということで、拒否されてしまいました。時には、泣いてしまうこともありました。
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さて、五角形の内角の和を求めていた時のこと。机間指導をしていた私に、珍しく「これでいいのですか。」と聞いてきました。いくつか考えを出していた中で、全てよいと認め、特にこれ(左図)はいいから、発表しないかと声をかけました。「説明はやってもやらなくてもよいから、図と式をかけばいいよ。」と言ったらやる気になったのです。
B子の発表の番になりました。誰か他の友達に説明してもらわなくては…と思いはしましたが、黙っていました。そうしたら、説明をやり始めたのです。本当にびっくりしました。その気持ちをすぐに子供たちに伝えました。
ところが、集団解決後、「七角形の場合だったら、どの考えでやっていく?」ということになったとき、B子が自分の考えを捨てて、他の友達の考えがよいということになってしまったのです。
ここが重要なポイントだということで、八角形、九角形、百角形になったら…というところで、やっとB子の考えがクローズアップされていきました。そして、「B子さんの考えが一番よかったんだね。」とまとまりました。
その日のB子の日記の代は、何と「算数」でした。「自分の考えが一番よかったということで、発表して本当によかった…」ということが書いてありました。思わず嬉しくなりました。
毎時間、どの子も発言できるうまい方法などありません。けれども、教師が変われば、子供も変わるのはないかと思うのです。例えば、全員が感想を言う場面をつくるという工夫をされている先生もいらっしゃいます。毎時間でなくても、その日1時間、でなければ1週間に1時間でも発言できる場面をつくってやることが大切なのではないでしょうか。(たぶんこんなことは、当たり前でしょうが…)
子供は、「発言したい。」と思っています。教師は、「発言させたい。」と思っています。それなのに、うまくいかないことがあるのは、その間に溝があるからでしょう。その溝を深くせず、すぐ跳び越えられるようにもっていくのが教師の役割と考えます。
「どの子も発言できるうまい方法」<完>
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