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執筆者の写真kazu

通知表の読み合わせと管理職の指導

更新日:2022年7月21日

教員の働き方改善・改革案14

問題意識から解決策へ

 問いをもち、自ら解決しようとする児童を育てることが求められています。

 教員も働き方についてまず問題意識をもち、声を上げるようになってきました。

 しかし、単に早く帰れでは、何ら解決になりません。業務が多すぎるのです。

 どうしたら業務を能率化させるか、減らせるかという具体的な解決策を自ら考えなければならないのです。

 

 今回の特集は、学級経営で、「通知表の読み合わせと管理職の指導」です。


 通知表は、児童も保護者も大きな期待や不安をもって待たれています。通知表は、本来は、必ずしも作らなくてもよいものですが、ほとんどの学校は発行しています。それだけに、信頼性と妥当性が必要です。

 そのためには、①記録や事実に基づいた評価 ②人権への配慮のある記述 ③学習意欲を高める所見 ④分かりやすい表現 ⑤誤記のない記述という5点が大切であると考えます。


 通知表ができると、学年の中で通知表の読み合わせが行われます。読み合わせと言っても、互いに見合うことは少ないでしょう。たいがいは、若手が主任に見てもらうことで完結します。主任は、指導しながら自分の仕事を振り返るしかありません。

 例えば、国語の成績で1組はAが10個で、2組は2個しかないとなると、差がついてしまいます。ですから、数の調整は行った方がよいです。

 所見についても、あとで見る管理職が大変にならないように、主任は指導をします。


 ところが、教員の働き方の上で、問題があるのです。それぞれについて、対策を考えてみました。


(1) 誤記載には対応できない。


 通知表でよく社会問題となっているのが、誤記載の問題です。昔は、はんこで押していたので、隣の児童の成績を押したというミスもありました。しかし、今は校務支援システムなどを使って成績処理をしているので、それはありません。よくあるのは、入力ミスです。

隣の児童の欄に成績を入力をしてしまったり、50と入力したつもりが5だけしか入れていなかったりするミスです。

 児童や保護者が思ったより成績の悪いときに発見して発覚することが多く、教員同士がみても管理職が見てもまず分かりません。

 

 入力したときに、異常値には赤字になるソフトを用いることは必要ですが、これは担任が気を付けるしかないと言えます。

 

(2) 主任が指導した表記を管理職が直してしまう。

 

 主任が見抜けなかった誤表記や誤字を、管理職が見付けて直したのなら、「さすが」となります。二重に点検する効果が大きくなります。

 ところが、若手は主任が直したものを清書して管理職に提出します。管理職は、主任が直した部分を知りませんから、たまたま主任が直したところを直す場合があります。若手は返された所見を見て困りながらもそのことを主任に伝えます。主任は納得がいかず、管理職のところへ行くことになります。時には、バトルになることもあります。若手はうろうろするだけで書き直しになり、主任は若手の信頼を少し失うことになります。

 

 このようなことが起こるのは、所見に対する管理職の理想と教員の理想にずれが生じたからです。教員は従来通りの考えで所見を記入するものです。所見に対する理想があるならば、事前に適切な所見の記入について、管理職は文書を出して説明しなければいけないでしょう。優れた表現を紹介するのもよいことだと思います。

 また、若手は主任が赤字で直したものを清書せずに、そのまま管理職に提出すれば、前述のようにはならないでしょう。

 管理職からの所見についての説明がない場合は、ずれが大きくやり直しで時間がかかります。上に立つ者は、それを見極め、忖度をやめて、誤表記や誤字を直すだけにとどめることが賢明です。この方が無駄な時間を省き、管理職も全ての教員も穏便に過ごせます。

 

(3) 所見に児童の課題を書く。


 通知表は、児童の学習状況について、学校が保護者に伝えるものなので、所見に児童の課題も書くように言われることがあります。しかし、保護者が我が子の課題を見たときにどう感じるでしょうか。

 「宿題をしっかり提出しましょう。」とか、「積極的に挙手をしましょう。」という記述では、保護者が児童を叱る材料になってしまいます。児童が急に挙手をするようになることはまれで、保護者は、「また書かれてしまった。」「どうすることもできない。」という思いになります。それに、この記述では、保護者向けではありません。児童への言葉です。

 「うっかりミスだけは気を付けましょう。」というような記述も児童向けの言葉と言えましょう。

 「算数を頑張ってほしいです。」という教員の願いを入れた記述でも問題です。「頑張っているのに、書かれてしまった。」「これ以上どうすればよいのか。」「それなら、もっとしっかり指導をしてほしい。」という思いになりかねません。

 こうして、所見に児童の課題を書くことによって、教員は信頼を失いかけることもあるのです。時間をかけて、一生懸命やったのにもかかわらずです。ここは、働き方を変えるところです。

 

 通知表の所見は、保護者が見て元気が出るようなものが一番だと思います。そのためには、まず、児童の課題を一切書かず、よいことだけを書くことです。

 保護者は、家では気が付かなかったり、分からなかったりする我が子のよさを知りたいのです。ですから、「算数を頑張りました。」というような抽象的な表現では伝わりません。

保護者は、的確に書かれた事実に基づく児童のよさの記述を読んで、教員への信頼感を増していくのです。

 保護者には、児童の課題も正直に伝えることが大切です。しかし、あとあとまで残る通知表ではなく、連絡帳や個人面談で伝えればよいことです。その際は、うまくいかなかったことで、児童がどう学んだか、どう指導したか、今後はどう指導したいのかを伝えることが大切です。そして、保護者からも情報を得るとともに、保護者に協力してもらうのです。そうすることで、学校と家庭が両輪となって、児童を育てることになります。

 

 ところで、事実を伝える所見は、主語が児童になったり、教員になったりします。どちらにしても、主語と述語が呼応するようにしておくことが大切です。書き直しが少なくなります。

 「心が大変優しい子です。予報もなく雪が降ってきた2月の朝。大切に育てているいちごを雪から守ろうとして,自ら校庭から玄関に友達と共に5年生の鉢を全て運び入れました。」

 この場合は、主語が児童で、様子がよく分かります。急な天候の変化と大切に育てている植物をすぐさま結び付けて、すすんで、しかも、仲間と、そして、自分のだけでなく自分のクラスだけでなく学年全員の分を運んだという事実で、心が優しい理由を示しています。

 では、「分からないことをそのままにしないと心に決め、テストで間違えたところを必ず直している姿がたくさん見られました。」という記述はどうでしょう。

 一見、教員が主語のような感じですが、「姿が見られました」であって、「姿を見ました」ではありません。主語は「姿が」なのです。第三者的なイメージです。

 この場合は、児童を主語にして、「~を必ず直すことができました。」とすれば、児童が努力を重ねた結果を伝えることができます。

 また、教員を主語にして、「~を必ず直す態度に感心しました。」「~を必ず直すことができるようになって感心しました。」とすれば、教員が温かく接しているイメージにすることができると考えます。

 ほかにも、自分のためでなく学校のためにやったということを言いたいがために、「掃除を一生懸命にやってくれました。」のように、「くれました」という表現を使うことがあります。この場合は、まるで担任のためにやったように誤解されることがあるので避けたいです。

 このような所見は、いずれAI化され、児童の様子を入力すれば、数千万の事例から的確な表現が自動的に出てくるようになると思います。長期的に考えれば、今はそのつなぎに当たっているのではないでしょうか。

 

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